| しろい部屋 writer:浅葉里樹 さま |
私たちはずっと、しろい部屋にすんでいる。 そこはあかるくて、それなのに窓のひとつもなかった。 狭いしろい部屋は、私たちのお城だった。 私とお兄ちゃんは、そこに閉じこめられている。私たちは出られない。 閉じた世界で、ふたりきりで、私たちはいつもまどろんでいる。 ここには、夜が、ない。 「そとの世界にはね、夜、ってものがあるんだって」 ふいに、お兄ちゃんが言った。 たまに部屋のすみにあるドアからさしだされる食べものを、たべているときのことだった。 お兄ちゃんはたまに、よくわからないことを言う。 「知ってるわ。それくらい。本に書いてあったもの」 ほんものの夜を、私は見たことがなかったけれど、本で読んで知っていた。 ドアからは、食べものだけではなくて、着るものや本もさしだされる。私たちがつかっているあいだ、それはいつも部屋にある。私たちがつかわなくなると、いつのまにか、それはなくなっているのだった。 「空が暗くなることでしょ? それから、あかるい月や星がでてくるの」 「ふつうはそうだね。でもね、ぼくの言う夜は違うんだ。夜からは生命がうまれるんだ。夜のかけらが、海のなかでかたまって、ひとになる」 それはまちがいだってことを、私は知っている。でも、言わない。 お兄ちゃんは、こういう話をするとき、とてもとてもうれしそうなのだ。 私はお兄ちゃんが好き。 だからだまって、聞いている。 「ひとが、光のなかでしか生きられないのは、夜の海にはいるとうまれるまえに戻ってしまうからだよ」 たぶん、お兄ちゃんはさかいめにいるんだと思う。 私はこちらがわの人間で、こういうときのお兄ちゃんはあちらがわの人間に違いない。 でも、私はお兄ちゃんが好き。 ビスクドールみたいにきれいで、色素のうすいお兄ちゃん。 お兄ちゃんがいるから、私はずっとここにいる。 しろくて狭いふたりだけのお城で、私たちはいつまでもたゆたっている。 ドアが開いて、しろいトレイがはいってきた。うえには、たまごが乗っていた。 ちいさくてしろい、たまごがふたつ。 「きっとこれは、この部屋そのものなんだ」 お兄ちゃんはおもしろがって、フォークを逆さにしてたまごを突いた。 たまごのてっぺんに、穴があく。なかにはどろどろとした白身が見えた。お兄ちゃんがフォークをまわすと、黄身も見えてくる。 どろりとした、黄身。そして、白身。 いやだ。気持ちわるい。 私はたまごから目をそらした。ずっと見ていたら、なにかいやなものを思いだしてしまいそうだった。 あのときも、同じようにわれたんだもの。 それで、なかからは赤くてどろりとした、水っぽいものが―― ああ。いけない。 私はあわてて、記憶にふたをした。 「この部屋は、たまごだ。ぼくたちはうまれるまえの雛鳥なんだ」 「鳥には、ふたごなんていないわ」 黄身のふたつあるたまごは、孵化しない。私とお兄ちゃんのようにふたつそろってうまれたりしない。 「ぼくたちは鳥じゃないからね。魂のふたごだ」 「――そうね。私たちはたまごからうまれたのかもしれない。夜の海のなかからうまれたたまごから、私たちは孵化したんだわ。だから私たちは、私たちだけなのね」 「そう、だから、両親がいない」 お兄ちゃんはくすくす笑いながら、私のほおにキスをした。 こん、こん、と。 お兄ちゃんがいやなせきをしている。 「だいじょうぶ?」 「もちろん。これはね、たまごがうまれる前兆だから」 お兄ちゃんは口のそばに手をやった。苦しそうに、見えた。 「たまごは口からうまれるんだ。夜のたまごはあべこべだから」 「もしもたまごが孵化したら、どうなるの?」 「どうなるだろう。わからないよ」 心底ユカイそうにお兄ちゃんが笑う。なんだか私もうれしくなって、笑った。 「でも、もしかしたら、たまごからはぼくたちがうまれるのかもしれない。ぼくたちからぼくたちがうまれて、ぼくたちからうまれたぼくたちからまたぼくたちがうまれて……。ネズミ算式にふえていくかもしれないよ」 しろくて狭い部屋いっぱいの、私たち。 いつかここは、私たちで満たされてしまう。 しかくい部屋にみっしりと、私たちが満ちる。 「なんだか、こわいわ」 だって、そんなに増えたら、私たちのいるところがなくなってしまう。 もしもここがいっぱいになったら、私たちはどこへ行けばいいの? 私たちは消えてしまうのかもしれない。 だれにも知られず、ひっそりと。 空気にとけて、なくなってしまうのかもしれない! 「時季はほんとうに、こわがりだ」 お兄ちゃんはたのしそうだ。私はちっとも、たのしくなかった。 だから私はそっぽを向く。お兄ちゃんなんか、知らない、って。そういう意味で。 「こっち向いてよ、時季」 こまったように、お兄ちゃんが言う。私の名前をやさしく呼ぶ。 ――しき。時季。 お兄ちゃんがそう呼んでくれるときの声が、私はとても好き。 とてもやさしいひびきだから。 やわらかくって。あたたかくって。 「ねえ、もっと、呼んで」 私がお兄ちゃんに向きなおると、お兄ちゃんはとろけそうな笑顔を見せてくれた。 「いいよ。いくらでも」 「私がねむってしまうまで、ずっと呼んでいてくれたら、いいわ。許してあげる」 私はお兄ちゃんのそばに行って、その胸にもたれかかった。 心臓のおとが聞こえる。 やさしくて、あたたかい、おと。 そう、とてもきれいな。 「しき。しき。しき。しき――」 まるで波のように、おおきくなったり小さくなったりしながら、お兄ちゃんの声が私をつつむ。 この声を、聞いていたい。もう少しだけ。 でもねむってしまいたい。ほんの、少し。 「ねえ、お兄ちゃん……。どこにも、行っちゃいやよ……」 お兄ちゃんは答えなかった。 答えないで、私の名前をくりかえし呼んでいた。 ずっと。 何度も、何度も。 夢を、見ていた。 そうたぶん、これは夢。 そうでなくてはいけないの。 でないと―― こわれて、しまうの。 私たちのお城が壊れてしまうの。 夜の海にのまれて、消えてしまうの。 見おぼえのあるような気のする、お兄ちゃんに少しだけ似た知らない男のひとが、私の上にのっている。 肩。 胸。 腰。 そのひとの手が、私のからだをなでていく。気持ちわるい。 私はなにも着ていなかった。そこは、ベッドの上だった。 「いや。やめて」 私はよわよわしく、叫ぶ。 さっき、目の前の男のひとになぐられたから、おおきな声はだせなかった。 口のなかが、痛い。きっと、切れている。 男のひとは、やめてはくれない。 顔をちかづけてくる。私の首すじに。 なまあたたかいものが、ふれる。ぴちゃぴちゃ、おとがする。 「や。いや。やめて、気持ちわるい」 私は身をよじる。そうやってのがれようとするのだけれど、男のひとはどいてくれなかった。 男のひとの、手が。 私の下腹を、なでて。 そして―― それから、私はどうしたんだったろう。 気づくと、男のひとはたおれていた。 私の、上に。 赤くて水っぽいものが、いっぱい、でていた。それは、私のこともよごしていた。 男のひとの頭はわれていた。 まるで、たまごのようだった。 私はふと、上を見た。 ――お兄ちゃん、だ。 お兄ちゃんが立っていた。 手には赤いもののついた、金属の棒をもっている。お兄ちゃんのしろいシャツにも赤いものが散っている。 お兄ちゃんは怖い顔をしていた。 男のひとを見おろしていた。 「……時季」 私が見ているのに気がつくと、お兄ちゃんは口もとをひきつらせた。 笑おうと、したのかもしれない。 「もうだいじょうぶだよ」 なにがだいじょうぶだった、のか。 私にはわからなかったけれど。 とけてゆく。 そう、おもった。 「や……な、なにしてるの、あなたたち……!」 私によく似た知らない女のひとが、ドアのところで悲鳴をあげる。 お兄ちゃんは女のひとを見もしなかった。 私のほうにやってきて、男のひとの下じきになっていた私をたすけてくれた。 「まさか……死んでるの!?」 女のひとが男のひとにすがった。腕にさわったり、している。けれども男のひとはしずかだった。 「そうだよ。それは、死体だよ」 からん、と。 金属の棒を床にすてて、お兄ちゃんは私を抱きあげる。 「きゃ」 私は声をあげた。目にうつる世界が、ほんの少しだけたかくなる。 「ぼくだけでやめておけば、命くらいはたすけてあげてもよかったんだけどね」 お兄ちゃんが小さくつぶやいた言葉は、たぶん、女のひとにはとどいていない。 しばらくして、たくさんの人がやってきた。わかいひと、年をとったひと、男のひと、女のひと。 とにかくたくさんの人が、私たちを押さえつけた。 「いや。なに、するの?」 だれも答えない。私の言葉は、とどかない。 私の手足をもって、たくさんのひとたちは、どこかへ行こうとしているようだった。 「お兄ちゃん!」 見ると、お兄ちゃんも私と同じような状態だった。お兄ちゃんのほうが、ひとの数がおおい。 だんだん、地下へともぐっているようだった。私は階段を、はこばれてゆく。 「おろして。はなして」 どうしてこんなことをされなければならないんだろう。 私は悪くないのに。 どうして。 ――もしかしたら。 私は急に気がついた。 このひとたちは、私とは違うのかもしれない。 ちがうものを見て、ちがう言葉をしゃべって、ちがうものを着て。 そうにちがいない。 だから私がなにを言っても、だまったままなのかもしれない。 やがて、私たちはおおきな扉の前につれてこられた。 重そうで、ひとりやふたりの力ではひらけそうにない。 私たちは床におろされた。けれど、自由にはしてもらえない。 数人が扉に手をかけた。ひく。 扉、が、ゆっくり、と、ひらい、た。 あのなかには、なにがあるんだろう。 そう、おもう。 でも、気になるのと同じくらい、私はなかを見たくない、とおもった。 なかを見てはいけないの。 おもいだしてはいけないの。 お城でまどろんでいたいのなら。 いけないの。 頭が少し、痛かった。 私は首をふって、おきあがる。 「――き。しき。しき。……あ、おきたね。もういい?」 お兄ちゃんは律儀に、ずっと私の名前を呼びつづけてくれていたらしい。声が少しおかしかった。 「ええ。ありがとう」 私が言うと、お兄ちゃんは、こん、こん、とせきをした。なんだか、さっきよりもひどくなっているような気がした。 「そういえば、ずっとうなされてたね。どうかしたの?」 「……うなされてたの? よく、わからない。 あまりおぼえていない。 たしかに、夢を見ていたことはおぼえている。 けれども、それだけだった。 どんな夢だったのかはわからない。 でも、やさしくてさびしくて、少しだけ、かなしい夢。 そんな夢だったような気がする。 それだけはわかっている。 私がつぎに目をさましたとき、お兄ちゃんはねむりのなかにいた。 「……お兄ちゃん?」 とてもめずらしいことだ。お兄ちゃんが私よりながくねむっていたことなんて、一度か二度しかなかったと思う。 私はお兄ちゃんのひたいに手をあてた。 あつい。 お兄ちゃんはあつかった。肌はしっとりぬれていた。 いったい、なにがおこっているんだろう。 わからない。 「ねえ、おきて。お兄ちゃん!」 私はお兄ちゃんをゆさぶった。 何度も、何度も、何度も、何度も。 でもお兄ちゃんは目をとじたままだった。目さえ、あけてくれはしなかった。 どうしよう。 どうしよう。 どうしよう。 どうしよう。 私はすっかり混乱していた。 やさしくて、どこかへんなお兄ちゃん。お兄ちゃんがいないと、きっと私はなにもできない。 ここはお城だったから。 私とお兄ちゃんのお城だったから。 どちらが欠けても、ここはお城でなくなってしまう。夜の海にのみこまれて消えてしまう。 まるで、たまごがわれるように。 こわれて、のまれて、なくなってしまう。 私は自分をだきしめた。 どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。 私はお兄ちゃんにくっついて、またねむった。ふたり、冬眠中の子ぐまのように身をよせあって。 ――つめたい。 私のとなりでねむるお兄ちゃんは、とてもとてもつめたかった。 そしてとてもしろかった。 「……お兄ちゃん?」 お兄ちゃんはしっとりとぬれてもいない。くるしそうでもない。 けれども、へんだった。 そうまるで、死体みたいな……。 「ちがう」 私はつぶやいた。そう。ちがう。 死体はこんなにきれいじゃないもの。 だからお兄ちゃんは死んでいない。 ただ動かないだけにちがいない。 動かない――そう、ねむっている、だけ。 私たちはいつもまどろんでいた。 毎日、とろとろと、ただよっていた。 お兄ちゃんは私よりもはやく、ふつうのねむりにはいってしまっただけにちがいない。 ねむりはとてもふかいから、私がゆさぶったくらいじゃ目をさまさないんだろう。 そうかんがえれば、なにもかもうまくゆく。 お兄ちゃんのくちびるにキスをした。 やさしく、おやすみなさいのキスをした。 それからお兄ちゃんのほおにふれた。ひたいにふれた。 お兄ちゃんはひんやりとしていて、つめたかった。 私はそれから、また、まどろみはじめた。 《了》 |