| 翼 |
風が心地よかった。 初夏の元気な草木の香りを優しく包み込むようにして運んできてくれる。 「いい……風だぁ」 どこまでも続く緑の絨毯の上に、独りの少年が心地良さそうに横たわっていた。 赤みがかった栗色の長い髪は、一つに結われたままに大地に広がっている。 その髪の先に黒い何かのケースがあり、さらにその隣には一つのキャンパスが置かれていた。 生き生きとした緑の草原が描かれている。 「この絵も明日には描き終えるし……」 よっ、と声を上げて起き上がり、少年が自らの描いている絵に手をのばし…………。 「ぅわあああぁっ!」 突然声と共に風が体当たりをしてきた。 少年には何が起きたのかわからなかった。 ただわかったのは、自らが触れるはずであったその絵が、視界内から消えたこと。 口を開けて、手をのばしたそのままの態勢でしばし。 「っく、ひっ……」 鼻をすするような音としゃくり上げる声に、少年は我に返ったようだった。 「あ……お、俺の絵は?!」 まずは目前から消えた絵を探す。 当たりを見回すと前方数メートル先にそれがあることにわかった。 ただし……それは芸術作品とは言える物だったかもしれないが、絵と言うには平面さを失った物だった。 「な……」 ふらりふらりと絵に近づいて行く。 その絵のそばに倒れている少女には目もくれず、無残な姿の絵をいとおしげに抱き抱える。 「…………ひっ……くっ、ぅ」 その横で黒く長い髪を揺らしながら少女が泣いていた。 「この一カ月で……ようやく……」 「うぅ…………」 長い髪の間……背中から、白くて大きな翼を生やした少女は少し落ち着いてきたのか、しゃくり上げる声が聞こえなくなってきていた。 「ようやく納得できる色が……」 「……あの……? 目の前に、泣いている女の子がいるんですけど」 大きな青い瞳に涙を浮かべたまま、少女が少年を見上げた。 「ああ、もう泣き止んだから問題ないだろ。それより、どうしてくれるんだよ俺の絵、あと少しで完成だったんだぞ!」 見事に真っ二つになった絵を示し、少年。 何かに衝突したとは思っていたが、それが絵だったとは。 「だいたい有翼人ならもっと高いところ飛べよな。風走りなんてするからぶつかるはめに……て、ちょっとまて、こら泣くな!」 再び泣き出しそうになる少女に、どうしてよいものかとあたふたしてしまう。 「俺の方が泣きたいって……」 「あたし……飛べないんだもん……」 頬を掻きつつも瞳から目をそらせずにいると、少女はそっと呟いた。 「飛べないって……有翼人は教えられる事なく知ってるんじゃないか? 飛べないはずが……」 「飛べないはずがない。皆もそう言ったよ。 あたしだって飛べるものならもう一度飛びたいよ。でも、怪我をしたあの日から、あたしは飛べなくなっちゃったんだ。 飛べない有翼人なんて有翼人じゃないって……皮肉で「ウミ」て呼ばれるようになった……。空が飛べないから「海」なんだって」 「海……、あ、いや……えっと……そう、名前は?」 思わず繰り返してしまって、少女の表情が歪んだのを見て慌てて名を尋ねた。このままウミという名前しか知らないのでは、呼ぶたびにこの顔を見ることになってしまう。 「名前……、あたしはウィミン」 「ウィミンか。俺はクウ。よろしくな」 今後会うこともないだろうと思いつつも、つい「よろしく」と言ってしまう。 まあ、社交辞令だよ。 と納得させるクウに、ウィミンは精一杯の小さな笑顔で返した。それがウィミンにとって一カ月振りの笑顔であるとは、クウは知る由もなかったが。 「あたしこそ、よろし……」 言いかけたウィミンだったが、肩にはしった痛みにそれを止めた。 「あぁ……ぶつかった時だな。俺の家すぐそばだから、手当するよ」 言うが早いか、クウは荷物をかつぎ歩き始める。 ウィミンはしばし悩んでいたようだったが、前方で振りかえったクウを見て、その後を追いかけていった。 家の中は綺麗に片付いていると言ってよかった。趣味なのか仕事なのか、画材道具も置いてあったが綺麗に整理してある。 ところどころに絵も置いてある。 ウィミンから見てどれも綺麗な絵だとは思えたが、何かが足りない気がした。 手当をしてもらいながら置いてある絵をじっと見続けて……、それが終わるころになって足りないものに気づいた。 「空がないんだ」 「あぁ……俺の画風だよ。たいして売れてないけど、これでも絵描きで食ってるんだ」 森の絵が多かった。街を描いた物もあった。だが、どの絵にも空は描かれていなかった。ウィミンが壊してしまった絵も、草原を拡大表示したような感じだった。 おもしろいと言えばおもしろい絵だが、空が好きなウィミンからしてみれば、どこか物足りない絵だった。 「明日から徹夜かな……」 「え?」 クウがため息混じりにつぶやいた。 「新作を絵画展に置いてくれることになってたんだ。三日後までに持って行けば……だけどな」 ちらりと、玄関に置いた絵に目をやる。 持って行くはずのその絵は、見事に真っ二つ。 「ごめん……なさい」 責任を感じてうつむくウィミン。 大事な絵を、わざとではないとはいえ壊してしまったのだ。 「あー、いいっていいって。何とかなるし」 一度描いている絵だ。構図も色も覚えているしそう大きな絵でもない。楽ではないが、描き上げることはできると思った。 それに、ウィミンの泣きそうな顔を見てしまうと、こう言うしか浮かばなかった。 クウの言葉にウィミンは安心したらしく、もう一度小さく謝ると、部屋を眺めだした。 ウィミンの手当を終えたクウは、その間に薬箱を棚に片付ける。 「ねえ、それは何?」 クウの立っているすぐそばに、ウィミンの言うそれがあった。 家の中の他の物と比べて明らかに異質な物だった。 「あー……あれは親父の残していった物だよ。それより、もう痛くないか?」 あっさりと返し、話題をそらそうとするクウだったが、ウィミンはその物から興味をそらせないでいた。 そこに、金属と布でできた翼のような物が見えたから。 「うん、もう痛くないよ。ありがと」 クウに向かってそう答えるも、言葉が終わるとまたすぐ翼の方を向いた。 「……あの機械は……「翼」は、空を飛ぶための物さ。親父は有翼人と共に空を飛ぶのが夢だったんだよ。 その夢のせいで……」 一度は空に舞い上がることに成功したのだが、長くは続かなかった。空から地へ、遮るものなく落ちていった。 クウは空が……、有翼人が嫌いになった。 捨て子だった自分を育ててくれた、大切な人を死に追いやった空が、有翼人が。 「これ……あたしが使ったら飛べるかな?」 クウの言葉から失敗作だと気づいたが、今まで空を飛ぶことができた自分なら、それができるかもしれないと、そうウィミンは思った。 「だめだ、あれは失敗作なんだ」 「風に乗って走る風走りは今でもできるんだから、空高くに上がることができれば飛べると思うの。空に上がることだけでも……できない?」 懇願する瞳がクウに迫った。 どうもこういう目をされると弱いようだった。 「だ、だったら東の崖にでもいってそこから試してみればいいじゃないか。あそこなら下は湖だし安全だろう?」 父親が死ぬ原因となった機械を使わせるわけにはいかない。いくら有翼人とはいえ、自ら飛ぶことのできない者では危険極まりない。 しかしその瞳に放っておくこともできず。なんとか言った案だったが、ウィミンはまたうなだれてしまった。 「あの場所には他の有翼人がいてね、あたしが飛ぶ練習をしようとしてもそれを邪魔するの。 どうせ飛べない。有翼人でないウミなんかに飛べるはずないって」 今日もそうだった。 崖から飛び降りる勇気もないくせに。飛び降りたところで湖に落ちるのが目に見える。 そんな事を言われ、皆の前から逃げ出した。 がむしゃらに走って。クウの絵とぶつかるまで風走りを続けていたのだ。 「……わかった」 クウが言って、「翼」に触れた。 「じゃあ……!」 「でも、これはウィミンには使えない」 「え……」 「有翼人のように飛ぶのが目的に作られた物だからな、翼のある者には使うことはできないんだよ」 それは背に背負って使う物だった。 翼があるため物を背負うことのできない有翼人には使うことのできない……、もとより使う必要のない物なのだ。 「俺が……一緒に飛ぶから」 何故こんなことを言ってしまったのか、クウは自分でわからなかった。 有翼人も空も嫌いなのに。それなのに何故有翼人が空を飛ぶ練習につきあわなくてはならないのか。 本当は空も有翼人も好きだからではないのか。好きなのに無理やり否定しているから、矛盾が生じてしまうのでは。 クウはなんとなくそんなことを考えてしまい、それを慌てて否定した。 その代わりに、ウィミンは有翼人ではない、と言い聞かせた。飛べないから、有翼人ではないから手伝うことができる、と。 暖かくも強く激しい風が吹き上げた。 崖の上にいる二人は、足元に用心しながら進まないと不定期に吹き上がるその風ゆえ落下しかねないほどだった。 崖の下には湖がある。水の色は深い緑色をしており、湖の水深が深いことを示している。もしここから落ちてしまっても、死に値するような怪我を負うことはないだろう。 湖の奥には森があった。広葉樹が大半を占め、多くの動物たちが住んでいるのだと容易に想像できた。有翼人もこの森に住んでいる。 湖に背を向けて立てば、クウの家や二人が出会った場所の草原が広がっていた。 「誰も……いないな」 クウがつぶやいたその通り、そこには誰もいなかった。ウィミンを邪魔したという有翼人がいると思っていたのだが。 考えてみれば、ウィミン一人のためにずっとこの場にいることはないだろう。それに、今は昼時だ。クウたちは軽い食事をすませてから来たが、他の人たちにしてみればまだ食べているか、食べ終わったか程度の時間だ。 「ちょうどいいな。今のうちに練習始めるぞ」 言って崖の縁に立ち……、思わず唾をごくりと飲み込んだ。 思ったより、高い。 いくら下が湖とはいえ、その衝撃を考えると……。 「ここまで付き合ってくれてありがとう。それだけで十分だよ」 クウの様子を察知したウィミンは、そう言って前へ出た。 「みんなの言うとおりだったんだ。私にはここから飛び降りる勇気がなかった。練習も、誰かがいるところを選んでやった。それならいざというとき助けてもらえるから。 ……あたしね、一カ月前、この崖から落ちて怪我をしたの。 普通なら「落ちる」なんて事なかったけど、慌てて浮上しようとした時に落石とぶつかっちゃって……」 浮上しようとしたため、真下の湖ではなく、張り出した岩と背中が衝突していた。そのときの衝撃が、飛べなくなった原因だった。この翼ではもう二度と空を飛ぶことができないだろうと、医師はそう言っていた。 「……俺が先に飛ぶ」 「翼」を背負ってクウは言った。 怪我をしたその場所で再び飛び降りることは怖かった。 クウが空を嫌いだと言い張るようになったのも同じ、父と同じことを夢見れば同じような目に遭うと感じていたから。 下がりかけていた足を、再び崖の端へ運ぶ。 「でも、それは……」 クウ自らが言っていた。失敗作。 「途中まではうまくいったんだ。死にはしない、よ」 そう言うクウの姿が消えた。飛び降りたのだ。 「いやぁぁぁ!!」 怖かった。 落ちていくことが。怪我をすることが。 まるであの時の自分を見ているようで。 大好きな空から遠ざけられるあの気持ちは、もう……。 「んな、叫ぶなって」 近くから声がした。 近くで聞こえるはずのない声。 「クウ!」 怖くて手で覆ってしまっていた視界を取り戻すと、そこには「翼」で宙に浮いているクウの姿があった。 少し無理した笑顔と、どうしてよいのかさまよっている足と。それを除けば先程と変わらない姿の……どこも怪我をしていないクウの姿を見て、ウィミンは笑顔を取り戻した。 「良かった……よかったぁ……」 「……良かったなら泣くなよな」 クウは安堵している姿を見て、ほっと息をついた。 ウィミンと会ってから、彼女の心からの笑顔を見たのは今が初めてだったから。 笑顔を見て思った。地から足が離れて思った。 本当は空と有翼人が好きなんだ。嫌いだったのは、それらを嫌いだと思い込ませていた自分。 そうと気づいてしまえば、そうと認めてしまえばあとは楽しいだけだった。 今飛べていること。有翼人と共にいること。 「ウィミン、俺が手を引くから一緒に……」 クウが手を差し出した、その時だった。 激しい風にあおられ、クウの体は大きく傾いた。 「あ……」 叫ばなかった。 ただ、それぞれの過去の記憶だけがよみがえる。 父が空から笑みを向け……落ちてきたこと。 背中を打って、翼が思うように動かなくて落ちていったこと。 ウィミンは崖から飛び降りた。 落ちていくクウを追いかけて。飛べるとか飛べないとか、そういうことを考えている間もなかった。 「クウ!」 なんとか浮上しようと「翼」の操作で悪戦していたクウが、ウィミンの声に見上げると、その手がのばされていた。 「手に……!」 言われるより早く、その手を掴んだ。 その瞬間吹き上がる風に乗って二人は空へと舞い上がった。 「ウィミン、飛べるように?!」 クウの驚喜するその表情を見つつ、しかしウィミンはその言葉に肯定しなかった。……できなかった。 「それが……風には乗れるんだけど、方向が……」 困った表情を浮かべながら、少し震えた声をあげた。 ウィミンが言ったのは舵のとれない状態ということで、それは風が止んだ時点で落ちることを示していた。 また、風に乗っている間も、それが崖や木々にぶつかる風であれば、回避できずに衝突してしまうということだった。 「ど、どうすれば……」 考えているうちに、風が止んだ。 二人は風に流され森の上空にいた。ここから落ちれば……。 「い、いやぁぁっ」 勢いよく迫ってくる森が、普段は包みこんでくれる森が、何もかも食い尽くしてしまうような恐ろしいものに見えた。 「動かない。翼が思うように動いてくれないのっ! なんでっ、早く、動かないと……。 このままじゃ……。いや……! 動いてぇっ!!」 「ウィミン!!」 混乱に陥りかけたウィミンを、クウはその名を呼ぶことで引き止めた。 正直、自分もどうしていいかわからなかった……が。 ウィミンの翼で無理ならば、「翼」でなんとかする他はない。 ウィミンの「翼」という言葉で思い出せた。 先ほどまで風に乗れなかった「翼」だが、風を仰ぐことなら……。 「飛んでくれ……!」 願いを込めて、クウは「翼」をはばたかせた。 ウィミンも懸命に風を掴もうとしている。 そして、二人のそんな姿に負けたと言わんばかりに、強くはないが下から吹き上がる風がおこった。 ウィミンの翼がそれを受け止め落下が止まる。そしてクウの「翼」が二人を上空へ誘う。 「と……んだ……!」 風はすぐに止んでしまったが、二人は空にとどまることができていた。 「すごい……! 飛べたよ! 二人で飛べた!」 再び空にいれることが嬉しくて。ウィミンはクウに抱きついた。 「うわっ、ちょっ……」 突然抱きつかれたものだから、バランスを崩しそうになってしまうクウ。 やめろと言いかけて……それをやめた。 変わりにそっと肩を叩いてあげる。 「よかったな……、ほんとに」 ウィミンへの言葉だけでなく、自らにも向けた言葉。 父の叶わなかった夢を、有翼人と飛ぶことを達成できたのだから。 「絵画展、お疲れさまでした」 そっと開いた玄関の間から、ウィミンが顔を覗かせて言った。 クウの家の中はいつもと変わらず、きれいに片付いていた。 いくつもの絵が飾られ、「翼」が部屋の片隅においてある。 以前と違うのは「翼」が手入れをしてあること。絵の中に、空を描いた物があること。 「最終日まで結構好評だったぞ」 「片翼の天使」と名付けられた空の絵では、片翼の有翼人が、草原で気持ち良さそうに風に乗っていた。 「でもこの絵、未完成でしょ?」 自らの描かれているその絵に触れて、ウィミンは言った。 クウは言っている意味がわからないと首をかしげるだけだ。 短期間で仕上げた絵とはいえ、自分なりに納得できる絵がかけたと思っていた。それを未完成と言われても、何故なのか思い当たらない。 「だって、片翼じゃ空は飛べないから。もう片翼がいないでしょう?」 「あ……」 何か気づいた風のクウを見て、ウィミンは微笑んだ。 「ねぇ、今から空を飛びに行こうよ」 外は見事なまでの快晴だった。風もほどよく心地良い。 空を飛ぶにはもってこいの日和だ。 「あぁ、そうだな」 クウは立ち上がって「翼」を背負うと、すでに玄関を出ていたウィミンを追った。 片翼の天使の、もう片翼となるために。 ○○○○○○○○○○ ソラ:あれ? 設定書に「片翼の天使」てタイトルが見えるんだけど? kuya:公開直前まで結構悩みましたー。 ソラ:あれれ? 別のところでは「翼の少女」て書いてあるよ? kuya:はいー。それはcslさんの作品「Dreaming Again〜翼の少女」用に加筆したもののタイトルですな。 ソラ:どこか違うの? kuya:んー、基本ストーリーは同じなんだけど、いろいろ追加してるような。結末の違うもう一つの物語も含まれてるんです。 ソラ:それはここでは読めないの? kuya:それはゲーム作品の方で見てみてくださいー。 ソラ:そっかー…て、久々に主題歌付だね。この小説。 kuya:はーい。ゲームの曲てのもあるんですけど、ネット外で手に入る(入った)曲てことで。書きおえてからしばらくして聞いた歌なんですけど、AsRさんの「夏色の翼」です。 ♪夏色の翼君となら はばたける大空へ 大切なものみつけたから 打たれても平気 kuya:全体的にちりばめられた言葉いろいろいいなぁて思うんですけど、サビのあたりでこの辺。 ソラ:「翼」より「翼の少女」の方があってそうだね、この歌。 kuya:んまあ、「翼の少女」書いてる時に聞いた曲だからね。というわけで、一度は書いてみたかった飛べない翼を持つ者なお話でしたぁー。 |