| ホシノネガイ |
・・・prologue・・・ 降りしきる雪が、世界を覆う。 まるでこの世界がこのまま凍りついてしまうのではないか、というほどに強く、冷たく、吹雪はやむことを知らない。 子供なんてほとんどいないような山奥の小さな村で、ただ轟々と降り続く。 少女は願う。 この空を……厚い雲を払い、星空を見せてくれ、と――。 ・・・・・・・・・・・・・・ 「12月24日……では残念……ホワイトクリスマスには……です」 壊れかけたラジオが都会の状態を語る。ところどころ雑音で聞き取ることができない。 「では……を見てみましょう。……のお店では……へのプレゼントを買……が行列を……ります」 クリスマス……。 降り続く雪を感じ、少女は思う。 もしも私の願いをかなえてくれるなら……、プレゼントをくれるのなら……、今年こそお母さんが帰ってきますように……。 母一人子一人で暮らしてきた。 冬は母が町まで働きに下りているため、娘は一人家で待つ。 家といっても山奥の小さな村。しかもその外れにある小さな小屋のような家である。 夏は暑く、そして、冬は寒い。 戸の隙間からは冷たい風と雪が舞い込んでくる。 「お母さん……」 少女は母に似ているとよく言われていた。少女自身も、結構似ている方だと思っていた。 舞い込んでくるその雪と同じような色の肌、黒くて大きな瞳に長くやわらかそうな黒髪。そして寒さ故か震えたままの小さな唇。 自分そっくりな娘を心から愛してくれた母。そんな母が、十二月二十四日という日に家に帰ってきてくれる。そう約束してくれた。 少女はすっと立ち上がると、自らの頬を叩いた。 「さあ、お母さんが帰ってくる前に準備しなきゃ」 クリスマスの準備。 久々に帰ってきてくれる母と祝うのだ。 きれいに飾って、母を驚かしてあげたい……。 そんな一心で部屋を掃除し、そして飾りつけていく。 ――ふと、外で何か音がしたような気がした。 「お母さん!?」 少女は玄関へ向かって駆けていき、そしてその戸を開けた。 一気に雪と風が流れ込んでくる。 いつもなら、母がすばやく中に入ってきて、そして戸を閉めてくれる。 しかし……、扉を開けたその先には、母はいなかった。 母を捜し、少女は顔を手で覆うことすら忘れ、辺りを見回した。そして、足元に青い服を着た男の子が倒れているのを見つけたのだった。 少年の名はかがりといった。背負っていたリュックサックに名前が記されていたのでそうわかった。 外からかがりを家の中へ運ぶとき、傍にあったのがこのリュックサック一つ。冬山に登るにしては何ともこころもとない荷物だ。 少女はかがりの短い黒髪にまとわりついた雪を払い、寒さから青白くなった肌に毛布をかけた。 そしてあまり効き目のないストーブのできるだけ近くに寝かせ、今夜の食事に……と準備していたスープを温めた。 まずは冷え切った体を温めてあげないといけないから。 時計をちらりと見ると、二十一時を回ったところだった。 「お母さん……帰ってこないのかな……」 「ここは……」 少女が諦めの呟きをした時、かがりが目を覚ました。 「私の家よ」 少女は答えながらスープの入った皿を渡した。 かがりは戸惑いながらもさし出された皿を受け取る。 「あ……りがとう。君は……?」 「私? 私はあかり。あなたはかがりっていうのね。荷物に書いてある」 あかりと名乗った少女が荷物を示しながら言うと、かがりはそちらに目をやり、ほ……と息をついた。 「この中には母さんと……父さんの思い出が入っているんだ」 リュックの中には父と母そして自分の三人で撮った写真と、母がかがりのために編んだ、今はもうサイズの合わない手袋。そして……、父が愛用していた……先ほどまでその腕につけられていた時計。 「あ……っ、スープ、暖かいうちに食べなきゃね」 思わず涙が出そうになって……、あかりにそれを見られたくない一心で、かがりはスープを一気に流し込んだ。 熱かった……。そして、暖かかった。 「泣い……てるの……?」 かがりは答えなかったが、スープの入っていた皿に落ちていく雫が、あかりの言葉を肯定していた。 「ごめんね……」 かがりはそう言って、皿を床に置き涙を腕で拭う。それから改めて、家の中を見回した。 玄関入ってすぐは土間になっていて、そこにキッチンもある。正面の扉はおそらく便所と風呂ではないかと予想できた。 土間をあがると今彼のいる部屋だ。といってもこれの他に部屋はない。 こんな所でたった一人で何をしていたのだろう。そう、思った。 「クリスマスの飾り……?」 壁に飾られたリースと紙の飾り。そして小さいながらも土間にはツリーも置いてあった。 「今日はお母さんとクリスマス会をする予定だったの……」 あかりは寂しげに言った。 「予定だった」 ……二十一時を過ぎたというのに帰宅していないということは、この付近の電車の都合を考えて、今日中には帰ってこないことを示していた。 かがりはそこまで把握してはいなかったが、母親が帰って来られないのだ、と理解することはできた。 「飾りつけ、まだ途中なんだね」 かがりは床に置いてあったまだ飾られていない飾りを手に取り立ち上がった。 「僕も飾りつけ、手伝うよ」 言うが早いか、まだ飾りの付いていないツリーにその飾りをつけにいった。 「あ……でも……」 どうせお母さん帰ってこれないから。 そう言いかけて、やめた。 振り返ったかがりの表情が笑顔だったから。それも、無理やりに作った笑顔……。 「いいんだ、僕もこの方が落ち着くから……」 そうと言われては先ほど涙を見たあかりにはやめろなんて言うことはできなかった。 「わかった……。じゃあ、私は食事の準備してくるね。 朝まではここにいてくれるんだよね!」 問いかけではなく確認的な言い方であったが、かがりはそれを裏切ることなく、小さく肯いた。 母は十日前に病気で死んだ。 父は数時間前、かがりの目の前で死んだ。 かがりは父とこの山に来ていた。 父の会社が倒産し、母はそれからまもなく亡くなり……。 父が無理心中を図ろうとしていたことに気づいたのは、山道で車を降りた直後だった。 「ちょっと出かけるから、一晩泊まれる準備をしろ」 父は昼過ぎになってそんなことを言った。 かがりはどこに行くのか何度か聞いたが、「あとで教える」とだけ言って相手にしてくれなかった。 準備が整うと、すぐに家を出た。 車で長い時間走った。 中学にもなれば多少の地理は把握していたが、道路標識の地名を見てみても聞いたこともないような場所だった。ただ、山道を走っていることだけはわかった。 やがて山道の途中の小さな駐車場で車を降りた。 まさか山に来るとは思っていなかったかがりには雪山での防寒具もなく、車の中で持ってきていた着替えを重ね着しておいたのだが、それでも雪山の寒さは肌に突き刺さってきた。 「なあ、どこに行くんだよ!?」 父に倣って車を降りたかがりは何度目かそう声を上げた。しかし父は言葉を返すことなく、ただ黙々と車の施錠作業をした。 そしてそしてそれが終わると、その鍵を山の谷側へ向かって思い切り投げ捨てた。 「……?!」 声も出なかった。 あたりには誰もいない。車は閉ざされたままに、鍵は探すことが困難な場所まで投げ捨てられてしまった。 「母さんに会いに行くぞ」 父が呟くように、そう言った。 その言葉で確信した。父は、死ぬ気だと。 「何考えてるんだよ! 帰るぞ、家に!」 父の腕を引っ張り、必死にその足を止めようとした。 しかしまだ十五にも満たない歳のかがりは、父の力に敵わなかった。 先に行ってしまう父を追いかけた。何とか止めようと、必死で話しかけた。 はじめは何の反応も示さなかった父が、ようやくかがりの言葉に答えてくれるようになった、その時だった。 死のうと思った者が生きることを考え直したその直後……。雪崩が起きた。 とっさに、父はかがりをかばった。 ギリギリのところで雪崩に流されてしまうことはなかったが、流木が父を打った。 そしてそれは致命傷となるほどの深い傷を負わせていった。 「いいか……、あの山を背にしてまっすぐ進むんだ。反対に進むよりは早く町か村に当たるはずだ……。木の枝でも拾って足元を確認しながら進むんだ……。 俺は……、お前を道連れにしようとした罪だろうな……」 せっかく、せっかく踏みとどまってくれたのに、なぜ……。 「ごめん……な」 「もう、もういいよ! いいから……一緒に帰ろう」 「必ず……生きて……」 言葉が途切れた。どんなに声を上げても、頬を叩いても、まったく反応してくれない。 かがりが二回目に直面する、人の死というものだった。 父は最期に笑おうとしていたように見えた。 かがりは立ち上がった。 本当ならこのまま担いででも一緒に行きたかったが、それが無駄なことであると、どこか冷静に考える自分がいた。 生きること、それが父の最期の望みだというのであれば、一人で行くしかない。 雪は吹雪に変わってきていた。 父の目を閉じ姿勢を整えると、その腕から腕時計を取り外し、自分の荷の中に入れた。それから父の荷をあけ、家族三人の写真と母の編んだ手袋を見つけるとそれも自分の荷の中に入れた。あとは父の言ったように、付近で一番高いあの山を背にして進むしかなかった。 「何でだろう……君には何でも話せてしまう……」 ずっと昔のことのような気がするが、実際は数時間前の出来事。 飾られた部屋の中で、温かい料理を食べながらその事を話していた。 「きっと……きっとね、私も同じだからだよ」 「え……?」 「お父さんは私が小さい時に天国へいっちゃったし、お母さんはお仕事で町に下りてるから、ほとんど家に帰れないの……。 今日も本当はお母さんとクリスマス会やろうって言ってたんだけど……」 その母は、帰ってこない。 「……あーぁ、せめて空が晴れていてくれればな……」 「空が?」 あかりの言葉にかがりは問い返した。 「さっきラジオで聞いたの。町の方は晴れているみたいなんだ。 だから……、星空が見えれば同じ空見てるのかなって思えるし、お父さんとも近づけた気がするしね」 「そっか……。……僕も星空がいいな。父さんに助かったこと伝えてあげたい……」 なんとなく、二人同時に玄関に目を向けた。 戸の隙間から流れ込んでくる風の音が聞こえる。雪は、舞い込んでこない。 「もしかして……!」 思いたって二人立ち上がると、そのまま玄関へ向かった。 外は、冷たい風が吹いているものの、雪はやんでいた。 そのまま、外へ出る。 「あれ、見て!」 そこには厚い雲の割れ目からわずかに見える星の輝きがあった。 「あと少し! もう少し雲が離れてくれれば!」 そう言いながら両腕を天に伸ばし、雲を両側にどかすようなしぐさをして飛び跳ねるあかりが、かがりには一瞬浮いているように思えてしまった。 「見て! 嘘みたい!!」 あかりの声にかがりが再び空を見上げると、そこには厚い雲に囲まれた星空がくっきりと広がっていた。 まるで星空の絵を雲の額縁に飾ったかのようだった。 「すごい……」 思わずこぼれる言葉。 都会育ちのかがりには、山の綺麗な星空を見る機会はなかったのだ。 「お母さんもこの星……見てるかな」 「……見てるよ、こんなに綺麗なんだ。きっと見てる……」 しばしのあいだ、ただ星を眺めていた。 雪の上に座り込み、ただずっと空を見上げていた。 「私……こんなに楽しくて嬉しいクリスマス、初めて」 あかりの言葉に小さく頷くかがり。 声を出して同意できないのはやはり父と母を失った悲しさが大きいから。そんな状態の中ここまで落ち着き、安らぐことができたのは、あかりとこの星空のおかげだと……そう思えた。 「どなたかいらっしゃいますか?」 と家の玄関の方から声が聞こえてきた。 「あ、はい」 何となく不意をつかれた気がして、かがりは立ち上がりながらそう答え、声のした方へ向かった。 そこには、一人の女性がいた。 黒くて長いふんわりとした髪に、雪のように白い肌。 「あなた……ここに住んでいるの?」 真剣なまなざしで問いかけてくる。その瞳は黒く、透き通っていた。 「いえ……助けてもらったんです。ここの人に。 もしかして……あの子の……あかりちゃんのお母さんですか?」 「……!」 かがりが問い返してみると、その女性は手に持っていた鞄を足元に落としてしまった。 「あなた……どうしてあかりの名前を知っているの?」 「……?」 答えではなく問いかけだった。 しかしあかりの母親であることだけは確かだと予想がついた。 「あかりは、去年の今日……いえ、日付が変わってしまったわね。去年の昨日、ここで死んだのよ」 「え……?」 信じがたいことを言った。 ありえないことを言った。 「ま、まってください、じゃあ僕が今まで話していたのは、この家ですごしていたのは誰だっていうんですか?」 言いながら、玄関の戸を開く。 開けてみると、かがりの飾った飾りと、1人前の食器だけが机の上にあるだけだった。 「な……」 あかりの使っていた食器や、かがりが来たときすでに飾られていたそれらはなくなっている。 「なんで……」 「去年……二十四日にあかりとクリスマス会をしよう、と約束していたわ……」 かがりが呆然としていると、あかりの母が話し出した。 「でも私は帰ってこれなかった。町で事故に遭いさえしなければ……。一時の間とはいえ記憶を失っていなければ……。 何度も、今でも悔いているわ」 「…………」 「なぜ吹雪の中外にいたのかはわからない……。ちょうどさっきあなたがいた辺りで、あかりは倒れていたそうなの」 「……!」 その話を聞いて思い出した。 さっきまで話していたあかりは、その場所にいるはずだと。 かがりは先ほどまでいた場所へ駆けていった。 突然かがりが走りだしたことに驚き、あかりの母も後を追った。 「いない……」 雪の上には確かに二人座っていた跡があったが、あかりの姿はどこにもなかった。 「ここで……星を見ていたんです」 かがりが独り言のようにそう言った。 「会えないなら、星を見たい。同じ空を見ていたい。 そう、言っていました。 今年は見えたんですよ、星」 言いながらかがりが示した方を見上げる。 「だからあの子……。 ええ、見たわ……。 吹雪がやんで、駅からここに来るまでに、しだいに晴れていくこの空を……あかりが見た空を、確かに」 零れ落ちそうになった涙を拭うため、そっと視線を落とした。 「ねえ……、あなたがあかりと何を話したか……教えてくれないかしら」 あかりの母が一点を見つめていることに気づいたかがりは、その先を見て微笑むことができた。 「……はい」 二人が見ていた雪の上……。そこには、 『ありがとう』 そう描かれていた。 |